沖縄では12世紀頃から農耕社会が発達し、集落は海岸部から農耕に適した台地に移った。アジア貿易の中継点として力をつけた有力者達は農民を束ねて豪族となって石垣で囲まれた城(グスク)を築きだした。まだ琉球王朝が統一する前の時代であり、この頃から構築された以下の城跡が世界遺産に登録されている。
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
座喜味城跡(ざきみじょうあと)
勝連城跡(かつれんじょうあと)
中城城跡(なかぐすくじょうあと)
どの城跡も石の城壁残っているだけのもので、あまり違いは感じられない。観光する場合はどれか一つや二つ見学すれば十分という気がする。見学した城跡を紹介する。
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
本部半島にある今帰仁城跡は13世紀頃より造り始められた城と考えられているが正確なことは判明していないとのこと。
今帰仁城跡の地図
駐車場から城に向かうところ。昔はこの場所も城壁の中であったようだ。
城壁の入口のところ
城壁はだいたい2、3重になっている。一番上の城壁から下の城壁内の広場を眺めたところ。今帰仁城跡は辺鄙な場所にあるため、周囲に緑が多い。
上の写真の広場から反対に一番高い城壁を眺めたところ。
勝連城跡(かつれんじょうあと)
沖縄中部の与勝半島にある勝連城跡は中城城跡よりも古く発掘調査の出土品から最初に建設されたのは12~13世紀と考えられている。その後、琉球の歴史上有名な阿麻和利が15世紀になって修復したとのことである。
復元されている城壁の規模は若干、中城城跡よりも劣るように思うが、高い城壁に登る感覚では勝連城跡の方が勝る。古い城の城壁の雰囲気を十分味わうことができる。また、城壁からの見晴らしが良く、東海岸の島々や海中道路や浜比嘉島大橋を見ることができる。与勝諸島観光の折にはお勧めである。
勝連城跡の地図
高い城壁。上には二の曲輪がある。
勝連城跡の二の曲輪から見た三の曲輪の様子。
三の曲輪から見た二の曲輪の様子。並べられている石は建物の跡。
中城城跡(なかぐすくじょうあと)
沖縄中部にある中城城跡は14世紀後半頃から15世紀にかけて作られた古琉球時代を代表する城郭である。
中城城跡の地図
少し小高い岡の上の公園のような所に写真のような城郭が残っている。
中城城跡の城郭の門のところ
城郭の登ると写真のような次の城郭がある。一番高い所が一の郭、次に二の郭、三の郭とある。見学した三つの城郭の中では中城城跡が良く整っているように感じた。
城郭の上から見た風景。どの城郭も岡の上に構築されているので、見晴らしはよい。