埼玉県にある安楽寺(あんらくじ)は多少交通は不便であるが、由緒があり趣きのある寺院である。特に三重の塔は気に入った。が印象的である。坂東三十三箇所観音霊場の11番札所である。

安楽寺(吉見観音)の地図

住 所: 埼玉県比企郡吉見町御所374

最寄りのバス停から30分程度かかる交通の不便な寺院である。吉見町を巡回するコミュニティバスがある。

車で行く場合、専用の駐車場は広いので問題ないが、近辺の道は狭いので行き方によっては多少迷うかもしれない。

安楽寺について

安楽寺は真言宗智山派の寺院である。山号は岩殿山。院号は光明院。本尊は聖観世音菩薩で、世間からは吉見観音として親しまれている。
安楽寺の歴史は古く、奈良時代に僧侶の行基が東国を巡礼したとき、この辺りを霊地と定め聖観音像を彫って岩窟に安置したのが始まりとされる。岩窟寺院の一つである。

平安時代の桓武天皇の時には、奥州征討に出かけた坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、七堂伽藍を建立している。

平安時代の末に起こった平治の乱で源義朝側は敗れた。初陣であった源頼朝は伊豆に、弟の範頼(義経とは異母兄弟)はこの安楽寺の稚子僧となって育てられている。その後、頼朝は範頼、義経らの協力を得て鎌倉幕府を開いている。その後、この吉見町辺りが範頼の所領となっている。範頼は所領の半分を安楽寺に寄進し、この寺のため三重塔、大講堂を建てている。これらのことにより範頼は吉見御所として尊敬された。この地方は範頼が住んでいた息障院から安楽寺にかけて一大寺院群が形成されていた。

しかし、室町時代から戦国時代にかけて要衝であったこの地は戦火にまみれ、天文6年の後北条氏が松山城を攻めたとき兵火により全ての伽藍が焼失してしまっている。

その江戸時代に入り世の中が安定すると三重塔、観音堂が再建されている。現在、残っている建物はすべて江戸時代以降に建てられたものである。

安楽寺の建物

少し高台に建てられている。

安楽寺仁王門(埼玉県指定の文化財)

駐車場から参道を行くと大きくはないが地方色豊かな趣きのある仁王門にぶつかる。

安楽寺の仁王門
安楽寺の仁王門

安楽寺本堂(埼玉県指定の文化財)

仁王門から少し登った所に立派な本堂が建てられている。

安楽寺本堂の側面
安楽寺本堂の側面

安楽寺三重塔(埼玉県指定の文化財)

本堂の右側に優美な三重の塔が建っている。この三重塔は江戸時代に杲鏡法印によって建てられたもので、安楽寺で現在残っている建物で最も古い。高さは約24.3メートル。

 

安楽寺の三重の塔
安楽寺の三重の塔

安楽寺の御朱印

御朱印は本堂の並びで、三重塔と反対側の少し離れたところにある住居とされている場所で頂く。

安楽寺の納経印
安楽寺の納経印